ジンギスカンの由来とは?発祥の地域や遠野ジンギスカンの不思議も解説

「ジンギスカン」は、中央部が盛り上がった形状の鍋で食べる羊肉料理です。羊肉は、豚肉や牛肉に比べて流通しておらず「なぜ“ジンギスカン”なの?」「なぜ羊肉なの?」と疑問に感じている人が多いかもしれません。そこで今回は、ジンギスカンの由来や歴史について解説します。各地域で今も愛される名店も紹介しているので「食べてみたい!」と思ったら、ぜひ参考にしてください。

ジンギスカンとは

「ジンギスカン(成吉思汗)」とは、羊肉と野菜を一緒に焼いて食べる料理です。独特の形状をした専用鍋を使って調理します。ジンギスカン専用鍋の素材は鉄です。調理方法も鉄板料理に似ていますが、ジンギスカンは「鍋料理」に分類されます。

ジンギスカンで食される肉は「羊肉」です。「ラム」と呼ばれる生後1年未満の仔羊肉、「マトン」と呼ばれる2歳以上の羊肉の2種類が主流です。店舗によっては「モモ」や「カタ」、「ロース」なども楽しめます。とくにロースは、仔羊一頭から500グラム程度しかとれない貴重部位です。赤身肉ならではの筋っぽさがなく、柔らかい食感を楽しめます。

北海道の郷土料理として知られるジンギスカンは、岩手県遠野市や山形県蔵王温泉エリアでもポピュラーな料理です。地域によって多少の違いはありますが、それぞれの地域に根付き、多くの人たちから愛されています。

ジンギスカンの名前の由来は?

「ジンギスカン」と呼ばれるようになった由来には諸説あります。ここではジンギスカンの由来として知られる3つの説を紹介します。

【チンギス・カンに由来する説】

ジンギスカンは、モンゴル帝国の初代皇帝『チンギス・カン(1162~1227年)』の名前から 取られた説があります。チンギス・カンは13世紀の始め頃、モンゴル各地の遊牧民をまとめ上げ「モンゴル帝国」を作り上げた皇帝です。「チンギス・ハン」「ジンギス・ハン」とも呼ばれ、いま現在も「国家創建の英雄」として称えられています。

ジンギスカン鍋の由来とされる理由は「チンギス・カンが兵士たちと羊肉を食べていた」という伝説が残されているためです。遠征中に兵士たちを鼓舞するため、ともに羊肉を食べたと言われています。

ただ現代のモンゴルに、ジンギスカンのような羊肉料理はありません。確かなことは分かりませんが「イメージが先行して付けられた名前では」と考える人もいます。

【駒井徳三(こまいとくぞう)が名付けた説】

『駒井徳三』がジンギスカンと名付けたという説も知られています。駒井徳三は満州の初代長官を務めた人物で、南満州鉄道で働いた経験もある実業家です。満州へ渡った際に出会った「カオヤンロウ」という料理が印象に残り、命名したと言われています。

カオヤンロウとは、主に満州で食されていた羊肉料理です。薄く切った羊肉にニンニクやショウガ、醤油を用いて味付けする工程は、ジンギスカンそのもの。ただし鉄板ではなく金網を用いるなど、調理方法に違いがあります。

【「源義経の伝説」をもとに命名された説】

ジンギスカンは「源義経の都市伝説」をもとに命名されたという説もあります。源義経の都市伝説とは、実兄である源頼朝に追われた義経が、逃げてモンゴルに渡ったというストーリーです。生きてモンゴルにたどり着いた義経は「チンギス・カン」と名乗り、モンゴル帝国を築いたとされています。

源義経の伝説が由来といわれる理由は、義経がモンゴルへ逃げる際に「北海道を経由した」からです。北海道の郷土料理である羊肉料理と、北海道に関係がある義経がチンギス・カンと呼ばれたことがリンクして生まれた説と言えます。

ジンギスカン鍋の由来は「鉄兜」?

ジンギスカンは専用の鉄鍋を用いて食します。鉄鍋の表面にはスリット状の溝があり、真ん中が盛り上がったドーム型の形状です。「モンゴルの鉄兜が由来?」と噂される少し変わった形ですが、この形状にジンギスカンを美味しくするヒミツがあります。

ジンギスカンは、中央の盛り上がった部分で肉を焼き、円の周りで野菜を焼きます。この位置関係が、実はとても大切です。盛り上がった部分で羊肉を焼くことで、肉汁が溝にそって流れます。流れ落ちた肉汁によって、グッと野菜も美味しくなる仕組みです。

ジンギスカン発祥とされる4つの地域

東日本を中心に「ジンギスカン発祥」といわれる地域と店がいくつかあります。ここでは、各地域に残る歴史と文化、ジンギスカンの有名店を紹介します。

【岩手県遠野市】

北海道と一二を争うジンギスカンで有名な地域といえば、岩手県遠野市です。遠野市では「ジンギスカンバケツ」を使った独自のジンギスカンが根づいています。

ジンギスカンバケツとは、鍋と組み合わせて使うブリキのバケツのことです。当店『じんぎすかん あんべ』の2代目である安部好雄が考案したもので、遠野ジンギスカンのルーツと言えます。

ジンギスカンバケツ発明の裏側には、昔から盛んに行われてきた地域の祭りやイベントがあります。地域の催しに鍋や七輪などの「ジンギスカンセット」を配達する機会が多かったあんべは、まだ舗装されていない山道で七輪をよく破損していました。

「解決するいい方法はないか」と考えられたのが、ジンギスカンバケツだったというわけです。珪藻土から作られる七輪とは異なり、バケツは金属製。軽量で耐久性の高いジンギスカンバケツは、すぐに遠野市内へ広まりました。

いま現在も、あんべを含む多くの店舗でジンギスカンが楽します。精肉店直営の『まるまんじんぎす館 羊丸』、創業約30年の老舗『遠野食肉センター レストラン』などです。遠野ジンギスカンを自宅で楽しみたい人向けにバケツや鍋、固形燃料は遠野市内の金物店で販売されています。

【北海道全域】

ジンギスカンは、北海道を代表する郷土料理のひとつです。根室や釧路のある道東から道央、函館のある道南まで、北海道の広いエリアで食べられます。食べかたは肉を焼いてからタレに付ける「札幌式」と、タレに漬け込んだ肉を焼く「滝川式」の2種類で、エリアによって異なります。

北海道のジンギスカンの始まりは、大正7年に政府が立案した「綿羊百万頭計画」にあります。軍服の生産に必要な羊毛を国内でまかなおうと考えられた施策で、北海道の滝川市や札幌市を含む全国5カ所に種羊場が作られました。羊毛だけでなく羊肉の活用についても盛んに研究が行われ、大正時代から昭和初期にかけて庶民へと広がります。

北海道内外に10店舗以上をかまえる『松尾ジンギスカン』、昭和29年創業の老舗『成吉思汗だるま本店』、生ビールとともに楽しめる『サッポロビール園』など、北海道にはジンギスカンの名店がたくさんあります。

【山形県蔵王温泉エリア】

山形県の蔵王温泉エリアもジンギスカンが盛んなエリアです。ジンギスカン専門店や羊肉を扱う肉屋が多く点在しています。

蔵王エリアのジンギスカンの始まりは、蔵王温泉名物ジンギスカンの元祖『ジンギスカン・シロー』です。初代の伯父がモンゴルで目にした、鉄兜で焼く「羊肉料理」を参考に鉄鍋の製作を開始。クセのある羊肉をいかに美味しく食べられるか研究を重ね、山形鋳物工場とともにジンギスカン鍋を開発しました。

同時にオリジナルのジンギスカンタレの普及にも励み、庶民にも広く食べられるようになります。昭和34年に開催された国体の冬季大会では選手たちから話題となり、蔵王温泉エリアのジンギスカンは広く全国に知られることとなりました。

【東京】

ジンギスカンを語るうえで忘れてはいけないのが、東京です。全国初のジンギスカン専門店は、今の東京都杉並区に開かれた『成吉思荘(ジンギスソウ)』と言われています。北海道とは縁もゆかりもない土地にありながら、昭和初期から平成初期まで営業を続けた人気店です。

成吉思荘を経営していたのが『松井商店』です。明治時代より宮内省御用達の肉店として営業していました。「綿羊百万頭計画」が立案され、国に協力を求められた松井商店は、羊肉の食肉利用について検討を始めます。大正14年に農林省から羊肉販売商に指定されたのち、昭和11年にジンギスカン専門店を開きました。

まだ北海道でも金網で調理していた時代に、東京では鉄棒で作った面のような丸い鍋が使われていました。鉄棒のすき間から垂れる肉汁によって上がる煙を利用して、煙で肉を燻して食べていたのです。

この鉄棒のすき間を鋳造で再現したのが、中央部分の溝にスリット状の穴が開いたジンギスカン鍋です。炭火を入れた七輪にのせて焼くと煙が上がり、鉄板で焼く香ばしさと燻された香りも楽しめます。

まとめ

ジンギスカンの名前の由来は「チンギス・カンに由来する説」「駒井徳三が名付けた説」など諸説あります。ただし、関連性や真意については、未だはっきりしていません。一方でジンギスカンが北海道や岩手県遠野市、東京など東日本を中心に広まった背景には、当時の政府が立案した「綿羊百万頭計画」があります。羊毛の需要減とともに羊飼育頭数は減少傾向にありますが、ジンギスカンは郷土料理として愛され続けています。